87歳になる私の親父は押上生まれの業平育ち。
現在東京スカイツリーの建っている場所が子供の頃の遊び場だった。
戦災で焼け出され住いを現在の葛飾に移したが、古い親戚からは
今でも「押上のきんやちゃん」と呼ばれている。
そんな親父はスカイツリーが生まれ故郷に建つと言う計画が決まってから
いや、押上がその候補地に上がった時点から、自分の生まれ育った場所が
一躍全国区になった事がとても嬉しかったようで、完成するのを心待ちに
していたのだ。
実は親父がここに登るのは今日で2回目。
オープン初日5月22日にも私の弟と一緒に登ったのだ。
初日の券に当選してからずっと「何も遠くまで見えなくてもいい、自分の育った町を
一目上から見られれば・・・」と言っていたのだが、あいにくの悪天候で展望台は
すっぽり雲の中、真下でさえ何一つ見えず、落胆していたのであった。
で、今日は私と一緒にリベンジした次第である。(二段構えでよかった~)
自分が育った町は空襲で焼け野原になってしまったのでその町並みや家並は
まるで違っているのだが、道路や十間川、京成と東武の線路、そして自分が通った
業平小学校などは今も昔と変わらぬ場所にある訳で、それを見るだけでも
当時の思い出が鮮明に蘇るようであった。
そんな親父、2~3年前から冗談ぽく「スカイツリーに登るまでは絶対に死ねない!」
なんて言葉を言い続けて来た。
で、本日その思いが叶ってしまった訳で、せがれとしてはチョット心配していたのだが
今日、となりに居合わせた見ず知らずの人にこんな事を自慢げにはなしていた。
「いや~、100歳まで生きられそうな気がしますよ。」だって、
親父すげーな~