其の619 奇跡の船

麦わらのゾフィ

2011年09月22日 23:28

9月19日、霞でフロッグゲームを楽しんだ後、10時に帰宅した。

帰ると直ぐに5歳の三男が船に乗りたいと言うので、隅田川や
東京港内で運行されている水上バスに乗ってみるかと聞くと
三男は以前連れて行った横須賀の「戦艦三笠」のようなでっかい船に
乗りたいと言う・・・?
じゃあ動かなくてもいいのかと聞くと、いいらしい。
ふ~ん、変な奴じゃ・・・


それならばココかなと、お台場近くにある船の科学館に行く事にした。
船の科学館には、南極観測船「宗谷」と青函連絡船「羊諦丸」が
係留展示されているのだ。

しかし船の科学館、場所は知っているものの実は一度も行った事が
なかったので駐車場の位置を確認する為パソコンで検索した所
なんと9月いっぱいで閉館になるのだそうだ。これは偶然、丁度良かった。

  


南極観測船「宗谷」

自分らが小学生の頃、南極観測船といえば「ふじ」だったので
「宗谷」に特に深い思い入れがあるわけではないが
(ここだけの話だが昔、直ぐ脇にルアーを通した事はある)
タロジロの南極物語にも描かれているようにその航海は苦難の連続だったわけで
そんな歴史の重みを感じたい事もあって一度乗ってみたいと思っていた。

そんな「宗谷」、行ってみてから知ったのだがその船歴には驚いた。

竣工は昭和13年、輸送船としてソビエト連邦から発注されたのだが
太平洋戦争直前でキャンセルとなり帝国海軍が買い取り測量船として
活躍したのだそうだ。ミッドウェイ海戦にも参加していて、米潜水艦の
魚雷をも被弾したがたまたま不発だった為沈没を免れるなど、数え切れない
戦火をくぐり抜けてきたのだ。
終戦後は樺太からの引き上げ船として働いた後、昭和31年にわが国初の
南極観測船として生まれ変わったと言うわけである。
「宗谷」は南極観測船として第6次南極観測隊を収容してその任務を「ふじ」に
引き継ぐがその後も北海道で海上保安庁の巡視船として漁船の救助に活躍し
なんと1000人以上の命を救ったのだそうだ。(詳細はウィキペディアにて

そして1979年(昭和54年)からここお台場に係留され、展示船として32年間
いったいどれほどの子供たちが訪れ夢を与えた事であろうか・・


私は初代南極観測船としての認識しか無かったのでこの「宗谷」の船歴を知り
その偉業に改めて敬意を感じたのであった。凄いぞ「宗谷」!

そんな数々の戦場を生き抜いてきた「宗谷」は奇跡の船とも呼ばれているのだそうだ。


最後に奇跡の話がもう一つ、竣工から今年で73年の「宗谷」は、
現在でも船籍を有しており、必要があれば航行できると言うことである。

追記:
良く調べたら、9月いっぱいで閉館になるのは本館と羊諦丸だけで
「宗谷」の公開展示は継続するという事でした。


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